中京大学 教養講座

その相手は、自分と同じ人間か。

 ネット上の些細な言葉の行き違いが原因のいじめや「人を殺してみたかった」が動機の殺人事件、宗教を言い訳にした凄惨なテロリズムなど、未来を悲観させる事件のほとんどは、時に凶器となり得る言葉の軽視と人間不在によってもたらされています。つまり、相手を人間と認められないために起こっているのです。
 誰かの言葉に傷つけられた体験を相手に投影できれば、言葉遣いには慎重になるでしょう。本来、死を恐怖する人間が、興味本位で同じ人間を殺せるはずがありません。また、自分の信仰を大切にしたいなら、相手の信仰も尊重するのが当然で、問答無用の暴力に訴える姿勢が許されるはずもありません。
 相手の立場に身を置いて考えた上で事を成す。たったこれだけの、極めてシンプルなルールが確実に機能していれば、私たちを取り巻いている息苦しさはずいぶんと緩和されるに違いありません。今、何より必要なのは、相手を自分と同じ人間と認められる能力。それは、読書によって培われます。

読書とは、出会いと発見のドラマ。

 読書とは、出会いと発見のドラマです。一編の小説を読み込み、生まれては消えるさまざまな思いを自分の言葉で捉えようと格闘する時、読者は自分の内部に別の自分がいることに気づきます。
 登場人物に感情移入し、作者の意図を探りながら、他者の心と深く関わっていく。物語の人物に寄り添って思索を重ねるうちに、読み始めた時は、自分と違う変なやつだと感じていた人物が、彼らもまた内部にさまざまな思いを抱えた人間である、との理解に至ります。嫌なことを言われれば傷つくし、嬉しいことを言われれば良い気分になる、そんな同じ人間だと気づく。読書は私たちを、見知らぬ自分も含めた多くの他者との出会い、人間の発見へと導いてくれます。
 こうして私たちは現実生活においても、同じように複雑な内面を持った人間同士として、相手と向き合えるようになります。

人間を置き忘れた今という時代に。

 もちろん、ここで述べたような読書体験は簡単にはできません。小説の中で言葉によって示されるのは氷山の一角で、それを浮かべる海はさらに広く、ずっと深い。その深海に分け入って秘められた宝、真実を探る営みが読書であり、そこから得られるのが読解力です。
 成果や効率が声高に叫ばれる時代のなかで、この読解力を養うことは一見、遠回りのように見えます。すぐに答えは出ないし、その答えも多様かつ曖昧です。しかし、読解力こそが、社会のさまざまな動きや問題に対する批判力や現実を見る目を与えてくれます。そして新たな自分との出会いの体験が、自分にとっての幸せが何か、人間が人間として生きていくために一番大事なことは何かについて、立ち止まって考える勇気を与えてくれるはずです。
 一度しかない大学4年間は、あなたが立ち止まって考えるべき場であり機会です。自分がどういう人間で、どんな風に生きていきたいのか、本当にしたいことは何か、じっくり考えてほしい。人文学はそのためにあります。そして、一人でも多くの人が社会のおかしさに気づき、声をあげられるようにしないと、人間を置き忘れたまま世界は、ますます息苦しさを増していくでしょう。
 今という時代だからこそ、必要なのはこうした人文学の知。私たちは誇りをもって宣言します。文学の学びによって養われる読解力こそ世界を救うのだと。

Profile

中京大学文学部 教授 酒井 敏

早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。同大学大学院進学、同大学文学部助手を経て1988年、中京大学に着任。2002年より文学部教授。中学・高校時代から本の虫で、福永武彦や谷崎潤一郎に傾倒し作家を志す。大学入学後、読書の中心が明治文学に移り、次第に研究者を志向。専門は日本近代文学だが、メディア論や映画など幅広いジャンルの研究に取り組み、日本児童文学学会会員でもある。著書に「森鴎外とその文学への道標」、「メディアの中の子ども」など。

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